2010-12-13

善人なおもて往生す (0:Fool)

善人なおもて往生す、いわんば悪人をば 親鸞の言葉と記憶していた。調べると、その師匠の法然の言とされているらしい。

李下に冠を正さず というのは、李を盗まれることを持ち主が怖れているという想像力がないと果たし得ない。ときとして、あまりに無警戒だと、知らずに李下に冠を正すような真似をして非難される。非難した人が悪いわけじゃない。非難された側も、うかつではあるが悪くはない。だが、あまりに善人だとはいえる。

はやく芯からの 悪人になって、指差されるときにははじめから覚悟して汚名を被るときだけという境地に至りたいものだ。無邪気な善人はろくでもない。

Fool by deck Waite and Pamela Smith

善人は、崖から落ちてはじめて自分のいる場所に気づくらしいよ。

Petit papa noël (Hierophant)

季節だから、洋楽のクリスマス・ソングを言挙げするゲームがあった。

一番に思い出したのは、Nana Mouskouri 唄うPetit Papa noël

あぁ、そうか。Petit papa てのはサンタクロースだよと子供の頃に言われて丸憶えしていたが。Papa = Pope 、法皇のカードの原型のイタリア語では、お父さんと書いてあったな。

Tarot Hierophant

最近、とある本を読んでいて、登場人物のひとりをカードに当てれば法皇かと気づいた。近くにいて、危険すぎることをしないようにたしなめながら、手助けをする役目。あたかも幼稚園や、小学校低学年の教師のような。カソリック圏における法皇は、こんな優しい教師の役目なのかと今更に思った。もっと厳格に人を教えさとし、圧迫するように教えを押し付ける役柄のみを、逆位置の印象のみを強く抱いていたことを恥じた。

サンタクロースは小さな天の父。ひとりひとりの肉親とはべつに、心を導く教師。

こちらに掲げた動画は、Nana Mouskouri ではなく Tino Rossi の歌声です。字幕がついていたので

2010-12-09

月と星

「願うのは星に、昏さの中にいないと気付き得ぬものは月の下」

そんな単純な違いかと思ったりもする

2010-12-08

駄詩 -Hermit-

智を求めよう。
智を掲げてはならない
誇れば背中に君の影が大きく伸びるのだから

2010-12-06

オカルト信者でなくオカルト遣いだから (not a occultist )

オカルト信者じゃなくオカルト遣いだから という言葉を思いついたのは。先日に占い拒否を謳う人々と会ったあと。圧迫してしまい避けられたので言えなかったが、言えば良かったと思った言い回し。

オカルトは手段に過ぎないから。万全を期すため、心理学からもオカルトからも考察し、それぞれの善処を考えるだけだから。

今のところ、どちらにしても処しかた・心構えは同じ。両方で考えた内容が検算にもなるし補強にもなっている。ならばどちらも差別することはない。それだけの話。

今日もちょとした感覚の異常を感じ、体調・心理・西洋オカルト・日本の霊に対する俗説ふたつのそれぞれを仮定し、対処を考えたが同じ結論になった。ならばそれで良い。

星に願いを (When You Wish upon a Star)

新月の夜は星がきれいに見える。

新月の夜に願い事をする人々がいる。願う先は本来月ではなく、星空ではないか。

そうに気づいたのは、先の新月の夜。地元・東京で朔を迎えるのを避け、フェリーで海上から眺めた時だった。二十年前、奈良の遺跡保護地区。今年一月、陸奥。四十余年で三回しか印象に残る星空はない。

今日は新月。天文の時刻、2時36分に合わせたかのように目が醒め、夜を過ごしている。

カレンダの新月の夜、今晩を。先月の希みのように心穏やかに過ごせるだろうか。

新月の夜も、人は暦も知らずに少し熱狂するようだ。

2010-12-02

「引き寄せの法則」 ?

「引き寄せの法則」という言葉が出る度にうげっと思う。どんな古典オカルト・宗教にも、そんな都合の良い現象はないのにと。

あるのはただ、いままで気づかなかったチャンスに気づきうる心構えだけ。いままでは見落とすほど散漫に生きていただけ。