2009-10-27

夢について -1-

夢占いはしないが、無意識からのメッセージは軽視しない方針 五月、初めて重い夢をみて、考えながらネットのコミュニティに書いた科白だ。

昨晩、8時頃に眠り20時に目が覚めた。いや重い夢をみて、眠った姿勢を保ち反芻して意味を考えていたのを切り上げて現実界に立ち戻ったのが20時なので、その 1,2時間前に目が覚めたのだと思う。

やっと納得のいく夢の解釈ができたから、記録しようと PC を開いたわけだが。まず夢占いと同違うのかという話から書いておきたい。

いま、重い夢を見るとひたすら考える。いわゆる 夢占い の文法は使わない。自分の無意識からのメッセージであるならば、自分の知識のなかにある象徴を使って、考えればわかるように構成されていると信じるからだ。

そして、メッセージをそのまま行動の指針にすることもない。間違いを犯すこともあろう私の潜在意識からの、考える主体(顕在意識) とは違うもう一つの意見として参考にするだけだ。これは 占い とは違うだろうと思う。

カード占いでも同じことだろう。なぜうまく考えの契機になるカードが引けるのかという謎は措いて。(どうしても意味がわからなかったら、忘れて後日もう一度引きなさい、と勧めている本を最近手に入れたが。「皆伝タロット」EDEN GRAY -邦訳2005年-)

あくまで、引くカードは瞑想的な思考の契機に過ぎない。あとは自分の解釈だ。納得がいくまで解釈を行い、さらにセカンド・オピニオンに過ぎないと達観する姿勢があるかぎり、世間で白眼視される 占い にはならない。物事を別の観点から捉えるためのきっかけだ。

こういうのをなんと呼ぶのだろう。

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