古本屋で、視
という漢字と、狐の画がかわいかったのに惹かれて買ったのが霊能者の事件簿と称する実録マンガだった。
フィクションとしてならば今まで何度か読んでいたが、実録を謳うそれは、今まで避けていた。なぜ素直に読めているのか顧みる。
解釈はひとつじゃないと思えるから、怖くない。結論はそこだ。
私は自分の問題は自分で解決できるだろうと思っている。世界中を救うことは望まず、自分と大事な人だけが大過なく生きられたら構わないから、それで構わない。だからすがる必要はない。
オカルトはノウハウだけが大切、個々の解釈は意味をなさない。物理の計器で検証不能なので、その裏にどんな解釈を加えても、間違っているともいえない。正しいとも言えない。
今回読んでいるのは、日本人が、先祖霊や事件の性質に応じた神社の援助を得て解決を導くはなし。
だが、世界に生きているそれぞれの民族が、いまも存続している。べつにどれか選んですがる必要はない、ということ。
私は単に、偶然を信じているのだろう。偶然の裏側に理屈を求めなくとも構わない。自分の過失の部分さえ自覚・反省することができれば、偶然を受け入れれば、そこに何やら霊の導きがあろうが、なかろうが、構うことはない。気にする必要はない。
うしろの人が相談して、ここに数珠を置き忘れさせて貸したんだよ
と理屈をつけないといけない主人公たちが、わりと可哀想。
あまり気が進まないが、書名もメモっておく。妖狐狩り
1 件のコメント:
烏賊にも蛸にもするめにもって感じ^^;;
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