2012-04-08

中道 ( Its difficult keep balance of tarotists )

他人を占うのは面談/臨床であり、相手の気持ちに寄り添わないといけないと最近書いたけれど。

自分が他人との人間関係でカード引いて、あまりにも適切な・できすぎたカードが出たら「やー、こんなの出ちゃったよ。適確すぎるだろ。参ったね。自分でもこの表現は思いつかなかったね」て、いわばカードと結果への惚気を言いたくなることは多々ある。( いや、いまあったのだが )

しかしながら、相手のあることだから、ふつうおおまっぴらに言うことはできない。

カードと結果への惚気を共有したくて、このケースだとこんな答が出るんだよとわかってほしくて、他人に誇るために他人を占う人になりたいっておもうこともあるだろうなと思う。

そんな思いで引いたカードは、たいがいは誰の内的現実をも映さないのだけれどね。

逆に、他人について占った結果を人に言いうべきではないという思いが強すぎると「当たるのは当たり前じゃない。『そういうもの』だよね」と日常に落とし込みたくなる気持ちもある。

これもまた「この一回」という臨床の気持ちを忘れ、惰性でカードを引いて、誰の内的現実をも映さないことになりがちだ。


毎回の結果に新鮮に驚きながら、驚きや喜びを人と分け合いたいという気持ちを抑える。そんなバランスはとても難しい。

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