子供の頃に、自ら斥けた 幻視・幻聴能力
(人類の 5% 、血液型 AB の半分くらいにはありふれているらしい) を受け入れて、もうすぐ一年。幻視を現実と混同せずに認識し、現実と関連することもある ことを把握し、またべつの能力を持つ人とも出会い。
いまの認識として、人それぞれ別の能力を持っていると思う。多寡だけでなく、質も。
常識 = Common Sense は、本当に共通(Common) にして最低限。多数の人間に通じることばに過ぎない。世間に対しては Common Sense だが、個々人にとっては Basic Sense なのだろう。その先の、教科書のない部分をどう扱うかが、個性であり、人生なのだと。
この先、ものの本に載っていないどんな出来事が自分にあっても驚きはしない。また、人が持つ能力である以上、どんな確信があっても間違いは起きることも自覚しつづける。
どう生きても、個々の人生。能力を封印しつづけて、たまにいきなり、洗練されていないかたちで発揮してしまい畏れるよりも、認識して把握して、洗練して、それでもなおかつ他人に通じないことばであることを自覚して、語る相手は選ぶ。そのほうが、きっと世間的にも成功に近い。
いまさら、あと二十年を目一杯に成功してもしれているけれどね。
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