2011-12-20

宗教を求める気持ちが本能であるならば ( if "It" is only one of insticts )

まだ穏便な

ご飯を食べないと死んじゃうし
 ご飯を食べたら気分が良いけれど
  ご飯を食べるために生きてると言う人は
  あまりいないよね。
  たとえ思っていてもさ。

体に良い食べものは美味しいけれど
 美味しいものが体に良いとは限らないよね。
  きちんと理性で監視しないと。
   美味しいと体に良いはイコールじゃない。

食欲も性欲も似たようなもので
 性欲を満たすために生きていると
  宣言する人はいないよね
  (たとえ思っていてもさ)

宗教や神秘体験も本能のひとつと考えた
 欲望が強いと誇るのも間違っているし
  そのために生きるなんて恥ずかしいこと、言えないし
   気持ち良さと自分に良いがイコールじゃないこともわかる。
    でも無視し続けては生きられないとも分かる

きちんとしたご飯を体に与えるのを忘れたら
空腹のあまり人は新聞紙すら食べるし
ジャンクに慣れるとジャンクしか食べなくなる。

今だと
原発さえなくなればすべてうまくいく とか
大陸の息がかかった民主党さえいなくなればすべてうまくいく なんて
自分たちに責任があるか考えたくないから外部にを押し付けて思考停止をするのが
飢えて手近の新聞紙を口に入れるようなもの。

ジャンクフードに当たる宗教が何かは、なにを挙げるのも怖いけれど。
気持ちが良すぎたり、刺激が強すぎたりして常習性があり
ほかの生活を忘れたり、ほかの考えを学ぶ気持ちを喪ったりしたら
ふつうに
ジャンクフードとみなせるよね。


なんでこんなこと考えたかというと

今日を逃したら年賀状が書けないけれど飲みにいきたいな

いやちょっと待て。

やりたいことと、やるべきことは、ときに違って当たり前

やりたいことを圧し殺し続けては生きていけないけれど。たまには、より長期の展望でやりたいことやろうよ

買い物のとき、そう思ってから一気に思いついた。

自宅の水回りに仕掛けた、パイプ詰まりを溶かす薬剤が効果を発揮するまで帰れない、年賀状を書けないから、喫茶店でまとめてみた。

そしてさらに考えは続く。

自嘲と自戒をこめて書けば

売春と占い師(・マジナイ師)は税金やハローワーク、生活保護が整備される以前の社会における最後の命綱。自然発生する社会保障だと
一昨日月曜日に感じていた。( 年明けて4月ころに、私の実名日記のほうで書いた )。

性欲の受け皿である売春者が
 客に愛を求めても
 求められても
 いけないように

宗教欲の受け皿である占い(マジナイ)師が
 客に信仰を求めても
 客が独占を求めても
  いけないよ

どちらも相手に合わせているだけの
賎業なんだから。

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