2012-04-21

姑獲鳥の夢 (Reptilian is a dream of dead fetus )

爬虫人類 (Reptilian) なる幻視に襲われる女性がいるという。

長く考えたくもなかったのだが、機会あってイメージを想像すれば、これは産まれ得なかった胎児なのだろう とまっすぐに気づく。幻視をみながら気づかない本人たちが可哀想に思えるほど明白だ。

今回、この件を書こうと検索すれば。たとえばイギリスの王家に嫁いで虐げられたダイアナ妃が、そんな幻想に襲われたという。

愛する人を得ながら不実で、別の女性に子供を産ませるのではないか。自分は子供を得ることはないのではなかろうか。かわいそうな、私と、愛する人のあいだの産まれなかった子供。そう思ったときに幻視に見舞われるのだろう。

2012-04-08

中道 ( Its difficult keep balance of tarotists )

他人を占うのは面談/臨床であり、相手の気持ちに寄り添わないといけないと最近書いたけれど。

自分が他人との人間関係でカード引いて、あまりにも適切な・できすぎたカードが出たら「やー、こんなの出ちゃったよ。適確すぎるだろ。参ったね。自分でもこの表現は思いつかなかったね」て、いわばカードと結果への惚気を言いたくなることは多々ある。( いや、いまあったのだが )

しかしながら、相手のあることだから、ふつうおおまっぴらに言うことはできない。

カードと結果への惚気を共有したくて、このケースだとこんな答が出るんだよとわかってほしくて、他人に誇るために他人を占う人になりたいっておもうこともあるだろうなと思う。

そんな思いで引いたカードは、たいがいは誰の内的現実をも映さないのだけれどね。

逆に、他人について占った結果を人に言いうべきではないという思いが強すぎると「当たるのは当たり前じゃない。『そういうもの』だよね」と日常に落とし込みたくなる気持ちもある。

これもまた「この一回」という臨床の気持ちを忘れ、惰性でカードを引いて、誰の内的現実をも映さないことになりがちだ。


毎回の結果に新鮮に驚きながら、驚きや喜びを人と分け合いたいという気持ちを抑える。そんなバランスはとても難しい。

2012-04-03

「星占いのしくみ」を読んだ ( BookReview , Clinic and Astorology )

承前

星占いの仕組み (石井ゆかり著、平凡社新書 2009年) を読んだ。

占星という体系をきちんとしる本としては今までめくった中では最適の本であり、同じ方向から占いにアプローチしているがゆえに、師匠であり名義が共著になっている鏡リュウジ氏と足並み揃えた誤謬、アクエリアン・エイジの罠にハマっているところが目についた。

古典の西洋占星をしる意味

前に 占星の時代 て題名で歴史的な占星の成り立ちを否定したくらい、わたしは賛命全般、占星を占術としてはまったく否定している。

だがタロットの文献を読むことが、自分に似た心の形としてウェイトやレビの心を味わう病跡学であり知的に楽しめるならば、占星の文献を同様に読むことも楽しいだろう。概念を抑えておかなければ、占星語で話すひとの言葉も理解はできても共に語りときに反論することはできない。

科学史・天文史・哲学史。そしてタロットの一環として錬金の考え方を知っている以上、話をきいて理解することはできる。聴けば理解できるが、星の運行に心を囚われるひとの気持ちを理解するには、概念を把握しておくことが必要だ。

ところが、いままで手を動かして理解する たぐいの問題集、サルでも分かるxx にギリシャ神話と錬金の雑学を加えた程度の本しか見たことがなかったのよね。今回ぱらりとめくって、はじめて総花的に理論のさわりだけを説明し、流派によってこれこれの扱いが違うといった周辺情報がきちんと載せてある書籍をみつけたと思った。その期待は裏切られなかった。これが前半。

占星を臨床として使う

後半になって著者・石井ゆかり氏の主張が現れる。過去の心理学を基盤にした心理占星こそが自分の求め築いてきたことであり、同じ道の先達である鏡氏とどのようなことを考えていたのか、と。

そういえば鏡氏は、(商売がうまくて良いデザイナさんをつかまえ、場所に合わせて適切なことをいうという印象のほかに)、河合隼雄追悼のムック (たしか この本 )に寄稿して、ユング心理学をオカルトの代替として捉えるものとして、日本でいかがわしくないようによくぞ広げてくれたと感謝していたな。

余談だが、先日に読んだ近代スピリチュアリスムと宗教 には、ユングは自分が確信している信仰を自分の用語で説明したにすぎないのに、それを科学でお墨付きが得られた、一致していると騒ぐアホがいる。一致しているのは当然だろ、アホ と要約できるツッコミがあった。さらに余談をいえば、この本で説明したミューラーて古い宗教学者の言葉 ~ときに・スピリチュアリストに援護のことばとして誤用されるが~ が、自分のこれまで、ここのブログに書き溜めていた事柄の姿勢とほぼ同一で ニューエイジを継ぐ者と銘打っているのに、それより前じゃないか と落ち込んで更新が滞っていた。閑話休題。

鏡氏がどう河合氏を尊敬しようが、私淑しようが、利用しようが構わないのだけれどね。

河合隼雄が言いたかったのは 面談/臨床 という技能の素晴らしさ であり、面談/臨床のあとに自らを振り返り自省する枠組みとして心理学を使えば心理のカウンセラ、宗教を使えば宗教のカウンセラだ。自らを振り返るのに占星の枠組みを使い、占星語で語れば、それは占星のカウンセラであるというに過ぎないだろう。

心理学というアカデミーでなく、面談/臨床という技能自体が素晴らしいと説こうとしたのに、面談/臨床のひとが自らを誇らずに心理学という言葉や看板に逃げるかね

職業の邪魔をしない程度の範囲で、河合さんならばそう苦笑したことだろう。