書きたいと思っていながら、日々の進捗に追われて自分でも忘却しそうなことがらをメモっておこう
まず、手元に図書館のダグラス本「タロット」(河出書房新社 1995 ISBN4-309-22428-8) がある。ここからふたつ引用して書きたい。
ひとつは、タロットの起源は麻雀(の原型)じゃないかという話。浅見先生の麻雀ページからも対応するページを探して引用しないといけないので、時間がかかりそう。
カバラの本質は、もともとは国を統治するための心得じゃないか、という考察がもう片割れだったかな。男性原理と女性原理
もう図書館に返した、もう一冊のベルヌーイの文庫、錬金術とタロット
( Rudolf Bernoulli / 種村季弘 1972改訂版) の最初に収録された話。錬金術の庭
だったかを読んで、人が生きながら諸相を変えること自体は、螺旋階段を上がるような進化の道
(内藤本「瞑想」) という今までの解釈から拓かれ、変化して巡るところからの収穫に意味があるのではないかと考えるようになった。
四元についての考察も、膨れ上がり過ぎていて、処理に困っている。なおかつ自分の認識方法として通り過ぎるときがそろそろ近づいている気配だ。
概要として、1) まず人間の認識が、一年を四季に分けているのではないかということ。なにかをみると、二軸4つの要素で考えようとする、文化・思考形態、もしくは生存競争の結果得た認識があるのではないか、と。
軸が複数あるという認識が、物事にふたつの特性・分類を考えたときに、対立か直交かを考え踏みとどまる力になる。
次に、地水火風おりおりの関係。棒(農夫) は聖杯(宗教) を使い(生み)、聖杯は金貨(商人)を使い、金貨は剣(兵)を使う。棒と剣とは対立。聖杯と剣とは並立。金貨と棒とは無関係。
たんなる旅先の思いつきのつもりだったが、けっこう他でも有効。勝ち負けを一方的な矢印、対立を拮抗する矢印、並立はまるまって伸び縮みするコードのような線で結んだ図が手元にあって、これを清書してからあげたい。(無関係は破線なんだが、技術的に清書できるか)
以下、本当に未整理の走り書き
火の思考、感覚とクンダリーニヨガに近い感覚、情熱、熱狂
水の情緒、やさしさ、理解。
水は剣では斬れない。また物質(=土属性、金属) としての剣は錆びるが、水も剣を害さない。ましてや風と水ならば、まったく並び立つ
与太っぽく読めるが、コンディションと人の感覚の各人のパラメータによって、わかる人もいる。わからない人もいる。そのあたりを表現するならば、分析ではなく小説の言語になる。
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