2010-01-03

年の初めに一年を占うということ

占いかぶれ らしく、目が覚めたらこの一年の吉凶を占ってみようかと思いながら未明に眠った。

目を覚まし、暦の区切りに何の意味があるだろうかと考えてみる。占星術を引いたとしても、いまの太陽暦での新年に意味があるとも思えない。

重い夢を視たり、気分がころりと変わったり、個人的な節目・潮目を感じることはある。そこにリズムはあるだろうか。天候の変化が周期的ならば理解しやすくて美しいと、人は思ってしまうが、幻想。気候は大まかに毎年巡るが、細密に一日を区切ることなどできない。

晴れの特異日に意味があるか、というと占い以前の験担ぎだよね。

日本なら4月、欧米ならば9月の年度替わり、決算をして人が動くときに、様相の大きな変転はあるだろう。だが最大公約数を取って、3ヶ月ごとに先を占う意味はあるかな?

もちろん、3ヶ月ごとに四半年の決算をするならば多少の意味はあるだろう。

まぁ、そんな話。人みな休みを取り、心機一転するということ自体には意味がある。

運勢の潮目なんて、占いの結果なんて、3ヶ月以上も先のことは言えないのですよ。半年も経てば変わるのですよ。わざわざ言わずとも、3ヶ月もすればみな、年頭の占いの結果なんて忘れていますよね?

予測は羅針盤、占いであれ、科学で解明済みのものであれ。ちょっと先の行方を、現在の状況・心境が続くとして予測するもの。結果をみて軌道修正するために行うもの。軌道修正ができたあとの、その次のフェーズについて予測することに、意味がありますか?

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