夢の周り
神秘的でもデモーニッシュでも、もちろん私が信じていない霊的なものでもないが、おもしろい夢をみた。(「見た」でも「観た」でもない)
註 : 霊的なものがあるかないかは知らない。自分が信じていない内容の夢はみないと確信しているだけだ。他の体系で解釈可能な間は、みないことになるね。
あるコミュニティで言えたら良いと願っている内容を将来発表したときに、どういう反応を各人が示すかを、演算してくれる夢だ。
昨夜はなかなか寝る踏ん切りがつかず、誘眠剤に頼るかどうか迷いながら眠った。寸前のアナログ時計の夜光塗料は3時を指していた。
体感ではなく、本当に長く夢をみていたのだろう。というのも、何度か繰り返し自分の寝相を感じ、これは携帯電話から本当に投稿・閲覧しているのではなく夢なのだと識り、そこから改めてならば次は何をみんなに話そうかと 現実の 意識で考えて、また夢の中のそれに投稿したのだから。
夢と幻視との定義的な区別は曖昧だ。まして、意志・主体が現実の側の意識にあるものは、どちらと言ってもずれがある。現実や日常寄りの話だから怖くないよ
と強調したくて、今回は夢と表現している。
一通りの関連する質問を了えて、空腹もあって夢から日常に戻ろうと決めたとき、寝具の中で夢をみただけだったのではないかと考え時計をみた。5時。流石に2時間はない (体感で20分程度、たぶんもっと短い) から、睡眠も摂ったのだと分かった。
眠る前も、目が醒めてからも、身体を楽にするためのストレッチと考え事のほかは手につかなかったから、寝具の中にいた 睡眠時間
は6時間くらい。
こういう夢を意識してみることができたら、昔ならば 夢占い
, 水晶占い
を名乗るのだろう。私は単にイメージの演算と解釈する。
でも、これくらいのヴィジョンをみてこそ、ブログ URL に名乗った Image Gazer
に相応しいと、誇らしく思っているのも事実だ。
余談
とりたてて言う気はなかったのだが、雑談の中で他の二人が符合した夢を今朝みたとわかり、ぼかした形で内容の一部を明かした。
良い夢を口外すると、実現の可能性が薄れる
という古い日本の言い伝えを思い出した。
人に明かしてなにが起きるとも思わないが、平安貴族の社会、夢にもたせた意味をコミュニティ全体が信じていた頃ならば、政治闘争をしていた頃ならば。
誰かにとっての吉夢は、別のひとにとって面白くない夢であることもあっただろう。
同僚を妬んで、直截の言葉で解釈をねじ曲げ、あるいは呪術、噂を使って 夢違え
をすることもあっただろう。
さすがに、それは面白くないから言わないだろうと、平安貴族に同情した。