2009-12-27

昼に引いたカード

本当に今日は「塔」のように色々と、確かだと思っていたものが崩れた日だったと思えることがあったので。並びを思い出しながら考えていた。

ひとつは、太陽が塔を横切る意味。太陽に記される無垢な赤子は、他にないのか。愚者との意味の違いは何か。塔から星、月を経て太陽に至る意味は何か。

(言葉に正確を期するならば、なぜ塔から月、星、太陽の並びに十九世紀の夢想者は意味を感じたのか、となる)

太陽に現れる赤子は何も持たない。その身体だけで満ち足りている。愚者は最小限とはいえ荷物を、若しくはこれから物を容れようとする袋を持つ。

赤子は自分から動く必要を認めない。また馴れた馬は危険を自ら避けてくれるだろう。

無垢であることは、産まれたままの子供では無理ということか。そして「草食で純粋な波動は世間の毒を解するすべを持たない」(内藤氏の「瞑想」より)状態。

もう一点、節制が逆になる意味、悪い面を表すとは。教皇や皇帝の逆とはなにが違うのか。

こちらは明確に結論を出せなかったな、大切な位置なのに

[追記]

2ヶ月近くが経って思った。

太陽の札の象意にいま至れたと仮定したら、それは 言葉にはっきりと突き詰めない知恵を得た姿なのかもしれない。

愚者は、全てを識ろうとしている。太陽は、すべての含みを呑み込んだ上で、言葉にせずに他者と円満に付き合える姿、なのかもしれない。

あくまで、私の、今回の場合はだけれどね。

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