2011-06-22

6 suits for meditional etude

introduce

Mysticism is only a language , tool for access another 's deep mind. There 's no reason for original higher thinking . It's only amusement.

神秘主義なんて、他人と心を通わせ、本人すら自覚しない部分に直接に話しかけるための言語/道具に過ぎない。

私が頭の整理のために、こう考えると論理的に綺麗だなどという内容を考えるのは単なる一人遊びだ。娯楽であり、ジョークだと思ってもらえたら良い。

main

胸にぶら下げた十字架のペンダントを見ながら、大アルカナは心の深層・原型であり日常ふだんに使うものでもない。その封印のために四元/小アルカナの四つのスーツがあるといつもの考えを弄んでいたとき。体感として胸中に擬せられる原型を封印するのに封印は四つの方向のみで良いのかという考えが浮かんだ。

上下左右のほかに前後、六つのスートを仮定するのが自然だろう。

我が友 TOMYZ に ピアズ・アンソニーの100枚タロット の話をしたとき、彼は 100枚という数字を敷衍して二つのスートカード 20枚を加えようと夢想した。彼はエーテル体・アストラル体といった従来の神秘主義の枠組みを愛しているからであり、その着想を聞いていたことは6つスートがあっても良いという自由を私に与えてくれたが、しかし全く無関係な枠組みを私は考えてみたいと思う。

  • ball - chain (前進と保守。前方と背後。従来でいうならば ball は wand でありfire )
  • coin - air (物質・日常・関係-しがらみ- と孤独、あるいは放浪、空想。丹田root - 頭上crown)
  • cup - sword ( accept - judge , emotion - logic , left - right )

TOMYZ 君と違い、100枚にする気もないし、それぞれのスートにコートカードがあって然るべきだと思う。

chain と coin の働きが従来のスート coin に混在し、fire を前に進むべきものと捉えることによって小アルカナ 40枚に従来置かれてきた意味合いが整理できることは楽しい。そして体感としてイメージするのにきわめて有効に働く。

このやり方で体感するのに唯一困ることは、あまりにのめりこむと右半身と左半身がばらばらに乖離しそうになることだ。オカルトは空想野遊びであって、度を越すと日常に害があるということ。劇的な副作用に注意。

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