2011-06-14

占いと主観 ( reality for two )

極端なはなしから始める

鼻の穴に筆を突っ込んで馬・鹿とそれぞれ十回書け(© 藤代健) という結果が自分を占って出たとして従うのか。他人を占って出たとして、言えるのか。


従わない、言えない。

どんなにカードを振りかざし、筮竹を振ろうと、自分独りでは言わないアドバイスを言うべきではない、というのが私の持論。

いや、筮竹振れませんよ。偉そうな小道具の例です


学校に行く気力が湧かなくて悩んでいる子供がいたとする。

本人の悩みを聞いて札を引いて学校に行きなさいと読めたとして言えるか。少なくとも私は言わない。

どんな客観的に正しいアドバイスでも、それができれば苦労はしないて結論を押し付たのでは意味がない。


自分の常識から外れた結論は読めないように、相談相手の常識から外れた結論だって言っても意味がない。

そんな結論しか読み取れないときはごめん、あなたの悩みにまだ同調できていないから結論が出ないというしかない。


だから、占いは当たるところまでは最低限の当たり前。実際は当てているのではなく、相談者にとっての真実がなにかを確認するところから始まるのだから。

相手と自分の共通認識を紡ぐところから会話が始まるのは、どんな話題でも、どんなツールを使おうと同じというだけの話。


……と当然のことを殊更に書くのは、たんに私が共通認識を紡ぐのが苦手、よく自分の認識だけが暴走するからなのだろうとも思う

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