承前
仏教の説話で次のような話がある。
子供が死んで悲しんでいる母親が、釈迦にすがった。
釈迦は
死んだ人が一人も出たことのない家を探して、そこの家から穀物を分けてもらい育てて食べたら、きっと子供も生き返るよと答えた。母親は一軒々々の家を回り、死んだ人の出たことのない家を探した。
どの家にもかつて死んだ人があり、死んだ人の思い出や、死者を出したときの苦しみを聞く機会となった。
母親は、ふと楽になって子供の葬式を出すことができた。
この5年
私もまた。
元妻に追い出されて独り暮らしをするようになって、一年後に自分の荷物のなかにタロットカードがあることに気づき、ふと筋の通るカードばかり引けるようになっている
ことを発見した。
麻雀にヒキと呼ばれるものがあるように、カードにもヒキがあり、今はヒキが強い時期なのではないかという解釈と、自分の読みの幅が広がってどんなヒキでも読めるようになった (ただし現実に即しているかどうかは別問題) という解釈ふたつのどちらだろうと実験を重ねた。
それから二年後、一度だけ。二週間だけ。カードが読めない時期があった。どんなカードを引いても、良く解釈することしかできない、自分のひとつの人間関係にしか当てはめることができない、という時期が。
当時は認識していなかったが、恋をしていたのだと今は言える。
自覚していなかった恋に破れてから、カードの付き合いからの人間関係を深めていった。
だれとであれ、同じ失敗をしたくなかったから人付き合い
がうまくいくようにという意識だったが。
一度も仲違いをしたことのないカップル
を探していたのかもしれない。
そんなカップルはなかった、のかな。
この5日
土曜日からかれこれ四日間。またカードが読めない時期が続いている。
前回の、良く解釈することしかできない状態でなく、現実に即していると思うにはあまりに無理筋なカードばかりが出る。
カードが目先の航路を示すなら、きっと航路ではなく行き先を検討する時期なのかとも思える。
不条理だけど、ヒキはまた復活すると思う。
筋が通るカードばかりと思えるようになった最初これは今だけのことだろう。また筋が通らないと思えるカードの並びを引くようになったら三年カード引くのをやめよう
と思っていた。
今は、また今の課題、自分の方針が固まれば、きっと二週間程度でヒキは復活するだろうとぼんやり思っている。
べつにヒキが復活しなくても困らないような生き方・方針になるのかもしれないけれど。
0 件のコメント:
コメントを投稿