馴れ合いで夜の闇のことばを語るなよ。
慰めがほしかったら、昼の宗教に頼れよ。
夜の言葉は、怖い言葉。自分も他人も切り刻む言葉。
傷つけられたと騒ぎ憤るような人が近寄るところではない。
twitter 検索 : #spiritualJP を見ての違和感・不快感と同じものを、さきほどためしに #Jung で検索したら英語の記事にも発見した。
日本だけの話のはずがないだろうとは薄々思っていたが、ユングの名前のほうが、日本語のスピリチュアルと同様の扱いを受けているとは盲点だった。まさにニューエイジの礎となったことを思い返せば不思議ではないのだけれど。
Q:
昼の宗教は社会に適応するため。夜のことばは、自分を突き詰めるため。と言うけれど。では昼の社会に適応できないとき、安らぐためにはどこに逃げたらよいの ?A:
そんな逃げ場所はない。
逃げたいだけで、思索をしない人間という存在。実在の人間として会って話したことはない。そんなもの議論に勝つための仮定じゃないか ?
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