日本語でスピリチュアルのレッテルを貼られたくない理由を先日書いたので、今度は本来の意味でのスピリチュアリストでもないが、アンチでもないという話を書く。
江原という人の存在を知らなかったとき、なぜ近ごろスピリチュアルなる単語を良く見かけるのかと、まず定義から調べた。
スピリチュアリズム/スピリチュアリストの正式な定義は、少なくとも以下の条件を満たしていることだという。
- 人間以上の超意識の存在を信じること
- 死後に残る人間の個性と交信可能だと信じること
三浦清宏「近代スピリチュアリズムの歴史」(ISBN978-4-06-214675-3)より
私は信じる必要もない、否定する必要もない
思い過ごしだとしても、それは少なくとも自分の願望による深読み。ならば自分の意志として、叶えてあげたければ動けば良い。相手が生者だろうが、死者だろうが、超越の存在だろうが。
それだけ。当人の意志だと思えば、プロセスは不可知で構わない。
錯覚
, 実在を信じる
、どちらを仮定しても他人に対する接し方も、生き方も変わらない。
三十年ほど前、教会で洗礼を受けたいと申し出るか考えてから、折にふれ機会にふれ自分に問うて確かめている。
間違いなく、なにも変わらない。
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