2009-12-01

無意識とか

中高生のころ、無意識というキーワードとカードを引く行為を、別個排他と捉えていたことを思い出した。

別個なら良いが排他は困る。札を混ぜるという行為ができなくなったのだ。

たかだか78枚のカード、どこに何があるか把握できないほど人間の知覚・処理能力は低くない。それで [共鳴する偶然] からいろいろの事物を読むことができるのか、と悩んでいた。


大学に入り麻雀を覚えた。(まだ公開していない草稿にも書いたが、麻雀とタロットは同根と思われる。)

どんなに他人の捨て牌を読まない、意識しないという人でも、そんな能力がないと思われている初心者でも、まったくの一人打ちと四人で遊んでいるとき、18回の選択(モータ)での成果・進行具合が瞭かに違う。

パソコンのランダムは、実際の牌よりも手が悪い/勘が働かないという人は多い。昔、手積みから自動卓になったときにも同様の感想があった。

そんなものだ。現実の物体をかき混ぜ、処理するという行為で、無自覚の情報処理を排することはできない。できないからこそ現実の牌は、タロット札は、乱数の興に任せたそれよりも素直に処理しやすいのだろう。

単なるオカルトよりもさらに実証が難しく反論は易しいことを書いてしまった。こればっかりは30年分の私の経験則としか言えない。

説を後世に残し誇りたいわけではなく、自分やその同類が生きていくのを楽にするために書いていることなので、ご勘弁

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