夢の解釈について話していて、夢について -1-
から進展させた話をふたつ書く。どちらも、解釈と占いの違いだ。
夢占いの辞書を使わない理由
夢占いの辞書、文法を使わないということは前に書いた。
昔の日本人が白い蛇の夢をみたら、蛇は神様の使いだったかもしれない。神様という言葉を、自分がまだ言語化できていないが感じている、世間や心の流れと捉えれば、現代にあてはめることができるだろう。
だが、今の我々が白い蛇と聞いて思い浮かべるのは、心の中のシンボルは、普通はもっと恐ろしげなものだろう。デモーニッシュな部分を軽視して、正の面ばかり表に出した解釈をすると大変だよね。
もっとも例外があって、普段から夢占いの本を読んでいたり、小さい頃に親や親戚から夢占いの話を何度となく聞いていたら、夢も夢占いの言葉でメッセージをくれるかもしれない。
精神修養と現世利益
失敗から書く。
私の生まれたときの星の配置 (ホロスコープ) の話をしていて、言葉がどうも分かりずらいと感じた。
もしかしたら。自分が伸ばしたいと思っている能力・資質
と 自分でも使っていることを意識しないが、無自覚に使っていて他人を置いてけぼりにしそうなほど優れた資質
、人生において、この能力を使っておくと得な資質
が入り乱れているのではないか。そう思って、3つを分けて表現していただくようにお願いした。
しばらく話してくださったのだが、そのうちに自分で言われた。使うと得する能力・資質については全然述べることができませんね
じつは、その言葉を聞いて私もほっとした。
オカルトは精神修養の経験則だけに意味がある、とかねがねここに書いている。タロットカードの並び、解釈を聞いても カードに顕れるとしたら、本人の心の持ち様をどうするかについて、占人が感じ取っていることが顕れるのではないか。気の持ちよう、あるべき姿しか示さないんじゃないか
といつも思う。
なぜ札を繰る人の心がカードから読み取れるかというのは別の問題として。
その私が、星読みの人の言葉についてだけ 現世利益のことをいっているのじゃないか
と思うのは、ある種の勘ぐり、軽視をしてしまったかな。そういう内容を読もうとする相手で良かった、と。
夢についても同じ。人生を深く感じ取りながら生きるためのメッセージと捉えれば精神修養だし、そこに現世利益を求めれば占いだよな、と。
ま、面倒くさいから 占い
とか 実占記録
とかいうことばをこれからも使いますけれどね。
見過ごしそうになっているチャンスに、本人が気づいて活かすことができれば、それが現世利益につながる可能性はある。それは否定しない。
そういえば、プロは 占い
とは言わずに 鑑定
というね。まぁ私はカウンセリング = 相談のほうが好きなのだが。
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