2009-12-05

夢のメモ、お蔵出し

今朝

久しぶりに飛ぶ夢を視た。

風に乗るように流されて、うまくケヤキの大木を狙って足をつけ、その反動で着地。流されずに済んだ。

飛ぶ夢の話は、6月頃の別の日記に書いたことがある。その時は生まれて初めて空を飛ぶ夢が私の中で悪夢ではなかったのがうれしくて書いた。これは信頼であり、傷つけそうだと懼れていても、周りの人間を傷つけはしないというのが象意だと書いた。

そういえば、地(植物を含む)・水の夢を視ても火・風の夢を視ていないと夢について話していて思ったところだった。飛ぶ夢は風か。

11/23 0:30-11:00

自転車を停めた、私の管理すべき営業していない喫茶店。

隣の狭い喫茶店に、ランチだけでも営業しているのかと思わせる、新しい新聞が並んでいる。

予定のとおりに自転車を停めて、坂の街並みを上がり。入り組んだ迷い家(マヨイガ) のような日本家屋の中を上に上がっていった。すぐに扉を抜けて山道に出るというところで、うしろから、私が自転車といっしょに置いてきた、喫茶店の鍵につけた鈴の鳴る音が追ってくる。

鈴に追いつかれてもいけない、それはとても怖いことだ。だがここまで近くに追ってきたのを無視して山道に出るのも間違っていると、目を醒ます。

昨日、メモを掘り返すまで、この夢のことは忘れていた

11/21 18:30-11/22 11:00

夢の三軒茶屋、多摩川が近い繁華街

地下の狭い通路、通れるほうの選択肢は、信号ひとつの隣に出る

夢からもってくるべきでないと感じ、読んだが意識して忘れた手紙の言葉

メモは以上。これは鮮明に憶えている。

三軒茶屋は、私の今の住まいから路面電車に乗って、もう一方の終点。

川の近くであれだけ賑やかなのは、三途の川の手前の町だとはすぐに確信していた。

手紙は、(現在、障害で喋ることのない)父から誰かに渡すように頼まれたもの。

12/04 (昨日)

自分の中の子供心に不思議がられながら、子供心のために連れていった幼稚園を授業前にエスケープして喫茶店に向かう夢を観た。

周りの、同級生になる予定だった子供たちは非難していた

なお、このあと肉親との約束を自覚的にすっぽかした。

全体に

さっき友人のことで 局面が変わる という言葉を書いた。

私も、重い夢を視たということは、心の局面がひとつ転回したのかもしれない。

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