占いなんて -2-
で書いた自分の言葉に、反論を思いついた。
嘆息を漏らした対象、他人のために引くにはカードに想起するイメージが不足、プロならばそうだろう。アマチュアだから、先達に相談できる。
分からないならば、分からないなりに先達に相談できる。取り繕わず、素直に分からないと自覚できる。それは良いことではないのか?
人は、自分独りの人生からだけで学ぶものじゃない。他人の相談に乗ることで、気づき、見えてくるものがある。
カードに想起するイメージが足りないとは、実人生にまだ欠けているもの、見ても視えない、理解できなものがある、てことじゃないか?
カードの並びについて先達の意見を訊くのは、人生にどういうことが起きるのか、起きうるのかを教えてもらうということ。自分の人生にも、心の成長にも、札に対して自分なりのイメージを育て増幅することにも有効。
十八、九世紀ならば身の回りに学べる相手は少ししかおらず、カードの言葉で他人と話すことはできなかった。それが師弟関係とか、秘密結社というものだった。
二十一世紀のいま、ネットを介して視野を広く、ワキからのツッコミありで多数の人間と会話し、学ぶことができる。カードのみならず、人生で起き得ることについて。
そう考えれば、占い
をするには未熟ながらカードを引き、カードについて人と語り合うことは大事だよね。自らの人生、質問者の人生それぞれを、より良く生きるのに悪くないよね。
そういう会話の積み重ねで、カードに想起するイメージが細密になり、膨らみをもち、後世に引き継がれる。悪くない。
0 件のコメント:
コメントを投稿