2009-12-31

トランプの王

大晦日の話

前の6月に軽く口論をしてから、互いに縁を切っていた知り合いと、酒席で顔を合わせるチャンスがあった。

別の友人と会ったときに、これから彼と飲むというのだ。同じ交友範囲の中なので、お邪魔しても良かった。だが今ひとつ会う気になれず、別れを告げて近くの喫茶店で煙草をふかしていた。

俺は執念深いのかな、そう思ったとき、タロット札を持ってきていたのを思い出して、引いてみた。

トランプの4、皇帝。正位置でも逆位置でもない、ニュートラルな手応え。

なんとなく納得して、宴席に顔を出したりせず、しばらく本を読んだりして過ごして帰った。

帰り道、執念深いと読めなくもないが、どんなカードが出たら反省して和解に行ったのだろうかと考えた。

剣から考えて、5や8、コートカードの逆。王や騎士の逆ならば、剣よりも棒が警戒すべきか。棒の王逆など出たら、確実に自分が執念深く意固地になっていると考えて和解しにいくところだろう。

剣の数札にも多いが、族に 人間関係 と解釈されることもあるだけあって、棒の数札が出ていたら、本当に反省すべきカードが多いね。盃の数の多いほうも、反省して和解に向かうところだな。

棒や盃の2や3が出ていたら? 近頃の私はそんな判断に迷うカードは引かない自信がある、引くようなら札を持ち歩くのをやめようか、とも思った。多分、どういう意味かと横切るカードを引き、そこからケルト十字や、右脳・左脳の自分で考えた2枚、4枚を追加で引いてまた考えるだろうな。

たかだか78枚のカードに、現実の全ての相が出るわけもないと考えているが、心の相ならば78通りのどれが出ても考察可能なこと。その中から 和解の時を決めるは自分。なにかに拘って和解を拒否しているわけではない と一枚で意味が取れる 4番皇帝を引いたことに満足した。

2009-12-27

昼に引いたカード

本当に今日は「塔」のように色々と、確かだと思っていたものが崩れた日だったと思えることがあったので。並びを思い出しながら考えていた。

ひとつは、太陽が塔を横切る意味。太陽に記される無垢な赤子は、他にないのか。愚者との意味の違いは何か。塔から星、月を経て太陽に至る意味は何か。

(言葉に正確を期するならば、なぜ塔から月、星、太陽の並びに十九世紀の夢想者は意味を感じたのか、となる)

太陽に現れる赤子は何も持たない。その身体だけで満ち足りている。愚者は最小限とはいえ荷物を、若しくはこれから物を容れようとする袋を持つ。

赤子は自分から動く必要を認めない。また馴れた馬は危険を自ら避けてくれるだろう。

無垢であることは、産まれたままの子供では無理ということか。そして「草食で純粋な波動は世間の毒を解するすべを持たない」(内藤氏の「瞑想」より)状態。

もう一点、節制が逆になる意味、悪い面を表すとは。教皇や皇帝の逆とはなにが違うのか。

こちらは明確に結論を出せなかったな、大切な位置なのに

[追記]

2ヶ月近くが経って思った。

太陽の札の象意にいま至れたと仮定したら、それは 言葉にはっきりと突き詰めない知恵を得た姿なのかもしれない。

愚者は、全てを識ろうとしている。太陽は、すべての含みを呑み込んだ上で、言葉にせずに他者と円満に付き合える姿、なのかもしれない。

あくまで、私の、今回の場合はだけれどね。

アミュレット崩壊

昨日、自分が受け取っても対処に困るだろうという手紙を送ってしまった。

私は信頼が残っていると思っていた関係を切りたいのかな、と1時間半考え、目が醒めてから寝床でさらに2時間考え。意識していなかったが本当に切りたかったのだと結論して活動を始めた。

しばらくして、喫茶店で新聞を読んだ後の手慰みに、この人間関係についてカードを引いてみる。ふむ、的確だねぇ。なぜ、こうも状況に応じたカードを引き当てるのか。あきれるほどだ。

問題の核
塔 …いきなり崩壊のシーン。ここまで相応しいカードはちとないだろう
横切るものは
太陽
底にある心は
運命の輪
表に顕れているのは
金貨 5
過去をどう捉えているか
棒 2
未来をどう捉えているか
魔術師 …トランプだらけだ
現状を表せば
剣 2 逆 …バランスは危なすぎた、と
相手の状況は
隠者 逆 …動いてくれなかったねぇ
鍵は
剣 3 逆
最後には
節制 逆 …これ、いちばん最初にこの二人の現状を視たときに正位置で出たカードだよ。ひっくり返って、中身がこぼれたか、大事にしすぎましたか。

なんとも、かんとも。カード引くまでもない状況と認識したからこそ、これが現状なのが、カードが正しく言い当てているのがよく分かる。

2009-12-24

占いとしてのトランプ (大アルカナ)

自分のことを占う分には、心のことを占っているんだし、心が発達することができたら実務・生活はわりとどうでも良いという価値観なので、トランプが出ると喜ぶんだけれどさ。

他人のためにカード引いて、その内容が、実務的なときに。大アルカナばかりだとうれしいのは私だけかもしれないね。数札が出たときに お、実務的に生活が動く意味だよ と言いたくなるので、クライアントがうれしいのはむしろ数札のほうかもしらんなと思ったり。

職業占い師には向かない

意味が通りやすいカードを引くようになってから、最初にお題をいただき実験台になってくれた人と、今日(23日) タイミングが合って生身で顔を合わせた。ケーキ食べたり、お茶を飲んだりしながら、たまたま持っていたカードも目の前で引いてみた。

関西滞在の帰路ですべての荷物を持っていたら、カードも含まれていただけね。

明確な主題を切実に与えられたわけじゃなく カード引くところを目の前で見せて という程度の気軽なリクエストだったからかもしれない。悪い象意、立ち向かうべき問題の部分も説明しつつ、吉兆を前面に出した気軽な世間話ができた。中学生のころ、親友 T を相手に顔色を変えた、同じ失敗はしなくなった。

対面でカード引くことはできても、やはり私は金取って占う プロ にはなれないし、目指さないなぁと実感したのは、そのあとだ。

別れて一時間後くらいかな。記録したノートを見ながら、意味と適用をあれこれ考えていた。新幹線の二時間があっという間に過ぎた。

好きなのだ。ひとつの事象に対して引いた、20枚から30枚程度のカードを素に、あれも考えられる、こう考えるともっとしっくり行くと、考えを思いを巡らすのが。

金を取り、生活にするプロならば、占い師でもカウンセラでも、相手のために確保した時間以外は、思い出さないもの。それができないとビジネスにはならないという。

ならば、私はアマチュアであり続けたいものだ。

あれこれ考え、今後の推移を教えてもらいながら検証することがなかったら、引いたカードを解釈する行為は楽しくない。実用にはなるかもしれないが、向上はないだろう。

私はカードに関しては、商売人に向かない。

2009-12-17

「占い」をするワケ

五日前のメモ。ここに至るまでの考察で書いていないものが沢山あるので公開していなかったが、前項「直観なんて」と関連するので。


現状分析や対策を探すために、タロー札という機運・偶然にヒントを求めることはあるが、定まった未来などのためにカードは引かない。

未言語を言語にする橋渡しとして78枚の画と偶然を使うんだ。それだけ。

え? カードの偶然に頼って言語野の思考を選択するのは怖くないかって?

日常で見聞する偶然、出会うものの中から無自覚に選ぶほうが怖くないかい?

直観なんて

直観なんて、そんな大したものでもない。

人間の持つ能力のひとつに過ぎないのだから、間違いもする。使っていることに無自覚だと、誤謬にも気づかず、道を誤ったりする。これを暴走という。

直観が暴走するのを抑えるため、自覚して使うための修行体系が本来のオカルトなのに、自分に足りないと思っている人が万能と思ってあがめる、自惚れたい人が浮かれる。だから守護霊だ、前世だという処まで行ってしまう。

社会とうまくやってくための方便、象徴の言語。別の社会を作って日常社会に押し付けようとして、どうするよ。

2009-12-06

ちかごろ [無意識] という言葉を使わない

ちかごろ、無意識という言葉を極力避けている。

奇偶という本を読んで、雑感を公式日記の方に書いてから だ。(ネタばれを避けるため、とりとめもない雑感のような態になっている)

無意識というと、顕在意識、我々がふだん活動に使い、行動の理由にしている心と別の存在があって、それが別のことを考えているような気がするよね。それって、怖いよね。

無意識が暴走するという印象の夢をみて怖くなって 、いろいろと考察して それを受け入れようと決めて しばらく日常を送ってみて、無意識なんて、そんな大層に恐れるものでも、普段の自分と違うと恐れるものでもないよな、と体感するようになったからだ。

無意識なんて言葉を使わなくても、なんとなく選んだ行動が正しいという確信をもつことがあるよね。

行動を決めている部分があって、それを他人に説明するために言語化する。人に問われないと言語化しないことなんて多々ある。そこから、無意識と呼ばれる領域まで、とくに区別することなくなだらかな変化で繋がっているのではないかな。

他人に説明するために、言語で会話するために使うのがペルソナだ。ふつう日本語では仮面と書いてペルソナとルビを振る。

行動の主体と、他人/社会を結ぶレンズのような存在、と近頃は捉えている。

レンズのこちら側、行動を決めている部分をなんというか。すぐに言語化・説明が可能な部分、ちと説明するのに苦労する部分、なかなか自覚できない部分。ひっくるめて 未言語の領域 とでも呼ぶしかないんじゃないかな。

言語、ロゴス、ねばならない で自分を縛ると窮屈だ。未言語の部分にしたがわないと、破綻はたやすい。

破綻しないように、極力、自分の未言語のこころを自由にして、社会とうまくやっていくために極力、ー嘘、方便と理解して使う言葉も含めてー 行動を他人に説明するための言語を操り、他人に説明できれば良いのかな、と考えている。

この話は、夢の話へのリンクをいくつか削ってつじつまを合わせつつ、公式日記のほうにもこれから置くつもりだ。

占い、分析、鑑定、カウンセリング

夢の解釈について話していて、夢について -1- から進展させた話をふたつ書く。どちらも、解釈と占いの違いだ。

夢占いの辞書を使わない理由

夢占いの辞書、文法を使わないということは前に書いた。

昔の日本人が白い蛇の夢をみたら、蛇は神様の使いだったかもしれない。神様という言葉を、自分がまだ言語化できていないが感じている、世間や心の流れと捉えれば、現代にあてはめることができるだろう。

だが、今の我々が白い蛇と聞いて思い浮かべるのは、心の中のシンボルは、普通はもっと恐ろしげなものだろう。デモーニッシュな部分を軽視して、正の面ばかり表に出した解釈をすると大変だよね。

もっとも例外があって、普段から夢占いの本を読んでいたり、小さい頃に親や親戚から夢占いの話を何度となく聞いていたら、夢も夢占いの言葉でメッセージをくれるかもしれない。

精神修養と現世利益

失敗から書く。

私の生まれたときの星の配置 (ホロスコープ) の話をしていて、言葉がどうも分かりずらいと感じた。

もしかしたら。自分が伸ばしたいと思っている能力・資質自分でも使っていることを意識しないが、無自覚に使っていて他人を置いてけぼりにしそうなほど優れた資質人生において、この能力を使っておくと得な資質 が入り乱れているのではないか。そう思って、3つを分けて表現していただくようにお願いした。

しばらく話してくださったのだが、そのうちに自分で言われた。使うと得する能力・資質については全然述べることができませんね

じつは、その言葉を聞いて私もほっとした。

オカルトは精神修養の経験則だけに意味がある、とかねがねここに書いている。タロットカードの並び、解釈を聞いても カードに顕れるとしたら、本人の心の持ち様をどうするかについて、占人が感じ取っていることが顕れるのではないか。気の持ちよう、あるべき姿しか示さないんじゃないか といつも思う。

なぜ札を繰る人の心がカードから読み取れるかというのは別の問題として。

その私が、星読みの人の言葉についてだけ 現世利益のことをいっているのじゃないか と思うのは、ある種の勘ぐり、軽視をしてしまったかな。そういう内容を読もうとする相手で良かった、と。

夢についても同じ。人生を深く感じ取りながら生きるためのメッセージと捉えれば精神修養だし、そこに現世利益を求めれば占いだよな、と。

ま、面倒くさいから 占い とか 実占記録 とかいうことばをこれからも使いますけれどね。

見過ごしそうになっているチャンスに、本人が気づいて活かすことができれば、それが現世利益につながる可能性はある。それは否定しない。

そういえば、プロは 占い とは言わずに 鑑定 というね。まぁ私はカウンセリング = 相談のほうが好きなのだが。

対人鑑定について

宴席にカード持ち込んで、鑑賞会をしようかという話が持ち上がっている。

へぇー、じゃあ俺のこと占ってよ という話が周りから、まぁ 6〜7人のうちの1人からだけなんだが、持ち上がった。

うーん、いま自分に余裕がないから、対人鑑定は辛いなぁ というのが、カードを持ってきてくれそうなもう一人の感想。私はクライアントの前で面と向かって人のカードを引いたことなど今までない。

(なんでこんなに納得のいくカードを引くようになったのだろうと思うようになったのは、ごく最近だしね)

それから一日ちかくが経って、つらづらと考えてみた。

かつて、悪いカードが出ないのか と訊かれて 悪い意味のカードはあるけれど、乗り越えるべき対象と捉えるから悪く受け取らないよ と応えたことがある。

それは私が、気が向いたときに気が向いた問題にしかカードを引かないアマチュアだから自信をもって言えるのかもしれない。悪い象意が現れたとき、乗り越えるべき対象と捉えるのは、解釈するときに力が要るんじゃないかな、と。

気力も必要、なぜ悪い意味を分析して対策するためのベースになる知識や、普段の考察という積み重ねも必要。どちらが欠けても、読む人のほうが悪い意味 (=目の前の困難) に引きずられて、うまく対応できなくなる。

などということを、ふと考えた。定期的、日常的に他人の問題に対して即断するのは、精神のカウンセリングでも、業務でも、占いでも大変だわ。

2009-12-05

夢のメモ、お蔵出し

今朝

久しぶりに飛ぶ夢を視た。

風に乗るように流されて、うまくケヤキの大木を狙って足をつけ、その反動で着地。流されずに済んだ。

飛ぶ夢の話は、6月頃の別の日記に書いたことがある。その時は生まれて初めて空を飛ぶ夢が私の中で悪夢ではなかったのがうれしくて書いた。これは信頼であり、傷つけそうだと懼れていても、周りの人間を傷つけはしないというのが象意だと書いた。

そういえば、地(植物を含む)・水の夢を視ても火・風の夢を視ていないと夢について話していて思ったところだった。飛ぶ夢は風か。

11/23 0:30-11:00

自転車を停めた、私の管理すべき営業していない喫茶店。

隣の狭い喫茶店に、ランチだけでも営業しているのかと思わせる、新しい新聞が並んでいる。

予定のとおりに自転車を停めて、坂の街並みを上がり。入り組んだ迷い家(マヨイガ) のような日本家屋の中を上に上がっていった。すぐに扉を抜けて山道に出るというところで、うしろから、私が自転車といっしょに置いてきた、喫茶店の鍵につけた鈴の鳴る音が追ってくる。

鈴に追いつかれてもいけない、それはとても怖いことだ。だがここまで近くに追ってきたのを無視して山道に出るのも間違っていると、目を醒ます。

昨日、メモを掘り返すまで、この夢のことは忘れていた

11/21 18:30-11/22 11:00

夢の三軒茶屋、多摩川が近い繁華街

地下の狭い通路、通れるほうの選択肢は、信号ひとつの隣に出る

夢からもってくるべきでないと感じ、読んだが意識して忘れた手紙の言葉

メモは以上。これは鮮明に憶えている。

三軒茶屋は、私の今の住まいから路面電車に乗って、もう一方の終点。

川の近くであれだけ賑やかなのは、三途の川の手前の町だとはすぐに確信していた。

手紙は、(現在、障害で喋ることのない)父から誰かに渡すように頼まれたもの。

12/04 (昨日)

自分の中の子供心に不思議がられながら、子供心のために連れていった幼稚園を授業前にエスケープして喫茶店に向かう夢を観た。

周りの、同級生になる予定だった子供たちは非難していた

なお、このあと肉親との約束を自覚的にすっぽかした。

全体に

さっき友人のことで 局面が変わる という言葉を書いた。

私も、重い夢を視たということは、心の局面がひとつ転回したのかもしれない。

実占結果を、伝言のように

しばらく前に観た、同じひとについて。局面や心の持ちようが変われば、新たにカード引いても迷わない頃合いだよね。

ま、9月以来、同じ問題で局面が変わっていなかったら、同じ札を引いてばかりだからあまり拘らないのだが。

しかし強いカードばかり出たな。

意識の核
棒 8
横たわるものは
剣3逆
意識の根底
剣女王
おもてへの顕れ
正義逆
過去をどう評価しているか
金貨女王
未来をどう捉えているか
金貨王 : (合わせて、観察するだけから、制御する意識への移行?)
現状をひとことで
恋人 ( 選ぶべきものを見つけるとき、という象意がありましたね)
周囲は
棒女王
鍵となるのは
剣8逆 : (認識することが重要?)
さいごに
愚者

[実占] 2.8% 、か

夜中に妙に不安で、誰かと喋ったら頼ってしまう自分が容易に予測がつくので閉じこもって、4時間ほどして。自分のこの不安定な人恋しさをどういう心構えで、予測でなく、乗りきるヒントはどこかという主題でケルト十字を引いた。

剣2逆 : いろいろなバランスを取ることに疲れている、と言われているのかな
横切るのは
棒4逆 : 新しい局面、人間関係を迎えることを、恐れているのか、 求めすぎているのか
根底
金貨2逆 : 問題が山積みだね、確かに
現れ
剣3逆 : 近頃の私の解釈 , スート主義だとロジックで感情を制御しようとしているのが裏目という意味
過去はどう処していたのか
棒8 : 急いで結論を出していた
未来をどう処しようとしているのか
金貨騎士逆 : 日常や契約で凡てに立ち向かおうとしている
ひとことでいえば
金貨8 : 成果を見つめ直している
周り : この場合は深く関わってきた , 関わろうとしている人々と思いながら引けば
剣5逆
処し方として
剣7 : ロジックで斬り込み、掴んでいこうとすれば
最後には
金貨女王逆 : 頑迷な物質主義に陥るだろう

いままでトランプカードが一枚も表に顕れなかったことなどあっただろうか。少なくともこの3ヶ月、妙に首尾一貫したカードを引くようになってからは、一度もない。

計算してみた。78枚の中の22枚を外して、10枚のカードを引く確率は、2.8% だ。一見少なく見えるが、サイコロ2つ振って6ゾロが出る程度の確率。割と起こること、むしろ今まで起きなかったのが不思議なくらいだ。

スート全体を視れば、あまりにも剣が多く、コートカードを含めた金貨。心が、盃がない。

感情面に向き合い、素直にな、豊かな感情をもって当たらないと、この人恋しさは癒らないよ、と。

逆位置になったコートカードは、いまの私の解釈では、どれも意固地で孤独だ。

翌日、べつの場所で 棒4を自分の都合だけで条件を決めている と読んだ人がいて、それもなるほどと思った

2009-12-01

今日について観た

「観る」と「視る」は説明が難しいが使い分け、誤変換ではありません。

さくじつ、YMさんの特別な事情への対処のためにでっちあげた8枚引き。なかなか面白く応用範囲が広い気がしていた。

科学の言葉でいえば右脳・左脳。オカルトの言葉でいえば慈悲の柱と峻厳の柱。(男性的な働きと女性的な働きがカバラ/生命の木と逆なのは、社会の変化に依るものだろう)

寝起きが悪い延長で動きが鈍い、今日の自分についてカードを引きたくなったときに自然にこの8枚引きを実践したくなった。結果はまずまず整合性が取れている。

核 : 杯7
横切るのは : 剣4
根底にあるのは : 剣女王逆
表出するのは : 力逆
右脳の働き : 金貨騎士
左脳の働き : 剣6
右脳の底辺 : 剣10
左脳の底辺 : 剣王

ユングのシンパのひとり、Mann の解釈が自然に思えるいま [塔] ですら怖くないという話を某所に書いた。

同様に、正位置ならば 杯7、剣10 すら肯定面をおもてに解釈できる、少なくともこの並びならば。

という辺り、益々伝統的なオカルトタロット解釈から離れてきていると思わなくもない。どんなカードも肯定的に捉えてかつ逆位置の説明がないサイトから数札のカード解釈の復習を始めたので、自然の成り行きです。


それはそれとして剣が多すぎ。ロジカルに処理すべき事柄が多く、また向いた日なのだろう


[補足]

私の引き方・順序では、ケルト十字と最初の四枚の意味・配置が同じ。4枚引いた時点の解釈で、どちらに分岐するか決めて良いのではないかな。

展開の名前は、"balance hexagon" とでも仮称しておくか。

前日 11月30日、16時を過ぎてのメール送信の内容がなかなか混乱しているが、これは疲れて寝込む寸前に送ったもの。

PC / 通信環境が復活してから推敲します

無意識とか

中高生のころ、無意識というキーワードとカードを引く行為を、別個排他と捉えていたことを思い出した。

別個なら良いが排他は困る。札を混ぜるという行為ができなくなったのだ。

たかだか78枚のカード、どこに何があるか把握できないほど人間の知覚・処理能力は低くない。それで [共鳴する偶然] からいろいろの事物を読むことができるのか、と悩んでいた。


大学に入り麻雀を覚えた。(まだ公開していない草稿にも書いたが、麻雀とタロットは同根と思われる。)

どんなに他人の捨て牌を読まない、意識しないという人でも、そんな能力がないと思われている初心者でも、まったくの一人打ちと四人で遊んでいるとき、18回の選択(モータ)での成果・進行具合が瞭かに違う。

パソコンのランダムは、実際の牌よりも手が悪い/勘が働かないという人は多い。昔、手積みから自動卓になったときにも同様の感想があった。

そんなものだ。現実の物体をかき混ぜ、処理するという行為で、無自覚の情報処理を排することはできない。できないからこそ現実の牌は、タロット札は、乱数の興に任せたそれよりも素直に処理しやすいのだろう。

単なるオカルトよりもさらに実証が難しく反論は易しいことを書いてしまった。こればっかりは30年分の私の経験則としか言えない。

説を後世に残し誇りたいわけではなく、自分やその同類が生きていくのを楽にするために書いていることなので、ご勘弁