1.
いくつか気晴らしに、確実に面白いとわかっている未読の推理小説を借りた。
長編を一冊と、中編集の4編収録されているうちの3編を読んだ。
やはり、読めない。集中できない。
世界に対して、新しい解釈を求めていない今の心。小説すら読めないらしい。苦笑。
2.
戯れに、現れたカードに意味を解することのなかったコンピュータの乱数に、いま自分の一番懸念している人間関係を訊いた。
白黒のウェイト=パメラ版がきれいにケルト十字に展開されるCopyright © 2000 J.B. Hare. とかかれたサイト。
3回引いて、3回別の答。どれも解釈としていまの状態に適用可能、受け入れ可能。
だが、どれも違う。札を引き、現実に異なる解釈を求めるとき、読み取れるのは未言語な事象の中から対処すべき局面なのだろう。
行うべき方針が決まっているとき、そこに読める解釈は幾通りもある。
どの解釈を採ろうが、やるべきことは変わらない。ならば、札を読むことに意味はない。
3.
いま対処すべきすべての事柄が終わり、悔いを残し、解釈が必要になったときに。小説も、タローカードも、また活きるのだろう。
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