2010-03-23

守破離

本人の宣伝や、周りの評価として、この半年に何度か見かけるLyrical Cards さんのタロット物語

よく練って作られた内容なのだな、とは伝わる。でも私は精読しない。前にリンクを集めてメモったときに書いたような気がするが、英語など自分の思考と少し遠い言語で書いてるサイトが好き。

タロー札に遭った10歳〜15歳のときならば、こういう内容が好きだった。いまは読む気がしない。それぞれのカードを自分の人生で出会った様々な局面に当てはめて考えるほうが実用的だからだ。私みたいに四十過ぎていれば、自然なことじゃないかな。

独り暮らしをはじめた十八歳から、タロー札とは縁が遠くなって、昨夏に再開したときには数札の意味など忘れていた。なぜ画風に惹かれて買った数札に画が描かれていないカードしか手許にないのかと苦労したし、思い浮かべる数札の図柄はやはりパメラさんの画 。それくらいにあやふやな頭でも、だ。

カード一枚々々は外国語の単語に似ている。意味内容の範囲は、日本語と違う。むろん英単語とも仏単語とも違う。同じならば画に描いたカードを使う必要はない。

日本語に翻訳すると意味の拡散するカードを、並べて中心を探ることでストーリ(筋) が生まれる。ストーリの中で個々の意味が生きてくる。

記憶術も悪くない。どんな早熟でもハタチ前ならば、思い起こせる人生の局面の抽出しなぞ、そう沢山はないから、どんな独創的な解釈も乱読する必要があるだろう。

でも、数字の順番に編んだストーリを読むのは、思い起こす時のイメージの幅が狭まるから良くないと思うんだ。よくできた物語であるほどね。

カードは局面や単語であって、その汎用性は、使いこなすということは、どれだけ沢山のストーリに別の文脈で使えるか、じゃないかな。

私の尊敬しない占い師さんが、カードに前後の文脈を持たせ、前に占ったときにこの意味・この人を指したからと囚われちゃいけません という意のことを書いていたが。意味の積み重ねと連鎖がその人にとってのカードの意義じゃない ?

同じ人、同じ問題について並べたときに、意味の累積が発生しないようなカードしか引けない奴は ヒキが悪い んだよ。そうなったら札引くのきっぱりやめるよ、私は。

0 件のコメント:

コメントを投稿