2010-03-31

スピリチュアリストと呼ばないで (Don't call me Eharanism)

発端

twitter で、spilitus という名前のリストにフォローされた。

日本で スピリチュアルの人 と言われると違和感がある。

前はそうでもなかった。ちかごろ調べて、江原なにがしという人の運営する日本スピリチュアル・ヒーラー協会のシンパを指す日本語になっているとわかって、俺は違うと言い出した。

なぜ違和感があるのか、嫌悪があるのかを半日考え、すっきりしたので意見表明としてまとめる。

日本のスピリチュアルと私の方向は正反対

ジョゼフ =ポジティブ= マーフィーカーネギー江原なにがし。

スピリチュアル の日本で流布した形は、コトダマ信仰に半ば同化されている。

悪い事が起きると言ったり、思ったりすると悪い事が起きるから、言ったらダメなんです

こういうことを考えてはいけない。考えないようにしなくては。そんな考えが心に浮かびかけても錯覚だから、無視しなくちゃ。考えないようにしなくちゃ。

マーフィとカーネギーに支配されて傾倒して、事業の引き際を失い破産した知り合いがいる。

コトダマ信仰マーフィー派、コトダマ信仰スピリチュアル派の教義は、不安やネガティヴイメージを突き詰めて考えないこと。

私がやっているのは、自分の中の不安や違和感を解明して、受け入れたり対処したりする道。日本語でスピリチュアリストと呼ばれたら困ってしまう。

悪いことが起きるというと悪い事が起きるんじゃないよ。

悪い事が起きそうな違和感を人間はしばしば感じるんだよ。

なぜ悪い結果が起きそうな気がするのか、理由を突き詰めて考え、対処しなかったら、悪い事が往々に起きるんだよ。

スピリチュアリスト はオーラの見方を人に説く

近ごろコーヒーがペーパードリップでも美味しく淹れられるようになった。豆の粉がお湯の中でどう動いているかがイメージできるようになったからだ。

料理の達人は言う。鍋の中の肉の様子が視えるんですよ

コンディションが向けば、私も子供の頃から鍋の中の様子が 視え た。常時視えるわけでもなかったし、視えた途中経過と、できた料理の味を較べて検証し、次に料理を作るときにどう工夫するか鍛錬しなかったから、料理は上達しなかった。

さて、プロの料理人は料理教室の生徒に向かって あなたにも鍋の中の様子がイメージできるようになりますよ。最初は蓋をしたヤカンの中の水の状態を想像して…… と説くだろうか。

人に押し付けるのは、自分だけ能力を持つのが不安だから

タロッティスト、オカルティストと呼ばれるのは、力不足で面はゆいが構わない。タロットを考察の材料・道具にすることが多いのは事実だし、西洋オカルト = 錬金術 (の十九世紀再解釈) の中には経験知があるだろうと読んでいる。

オカルトの体系は信頼していない。体系化した人々に、自分と似た心の形をみて、同類として分類しているだけだ。

直観の洞察が社会で理解されない、だが往々にして正しいために、直観こそが天啓であり唯一無二、無謬の能力として崇拝したのが十九世紀オカルティスト、と今は捉えている。

日本のスピリチュアリストの何人かは、オーラ視や別の感覚を誇るかもしれない。絶対であり正しいというかもしれない。みな学んでほしいというかもしれない。

直観の洞察と同様、正しいことは多いが、他人に方法論を押し付けるものでもない。 得てしまった能力を、社会に融和するように使うだけだ。

無自覚に使って他者を混乱させる = 暴走を防ぐためにオカルトという体系がある。密教という体系がある。本当に能力のある人は、師につかずとも本を読めば必要なことを学べる。暴走に困っていないひとが無理に学ぶ体系でもない。

礼なんて、よしとくれ。これは贈り物じゃない。呪いだよ!

小説アルケミストより

1 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

このあと別のところで「たましいが喜ぶから部屋を片付けて心地よくしましょう」という文章を見かけ、アホかと思った。

スピリチュアルという思想を正しく捉えるならば、たましいを自分と認めるところから始まるはず。それを他人事のように捉え、甘やかす発想をしてはいけないよ

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